QUEST LAB

十二支 × 協力 × リアルタイムバトル『Play The Fox』を作っています。

Play〜再生〜

 こんな記事を書くのは最初で最後になるだろう。どれほどの人が僕たち自身の話に興味があるというのか。だからこれは僕たちのための記録。僕たちが「きつね」につままれた日の話を、他でもない、僕たちのための回顧録としてここに記そう。これは、僕たちと「きつね」の闘いの記録。夢と現実の間をさまよった未熟者の記録。
 
 僕たち3人が知り合ったのは、たまたま入学したときクラスが同じで、たまたま席が近かったからだ。よくある話か。それに加えてたまたま3人ともゲームが好きだったところで、そんなにドラマチックな話でもないかもしれない。あっさりと打ち解けた僕たちは、一緒にゲームをする仲になった。当時はPCのオンラインゲームを、Skypeをつないで遊んでいた。学校で会うときよりも喋っていたかもしれない。起きている時間のほとんどをリアルとバーチャルで一緒に過ごしていた。

 ある日、英語の授業でプレゼンの課題が出た。3,4人のグループで会社を設立し、どんな事業をするかプレゼンしろとのことだった。最優秀グループには100万円を与えるそう。もちろん架空の話。特に示し合わせるでもなくグループになった僕たちは、特に示し合わせずしてゲームの会社を作った。社名は「Quantum Enchanted Soft.」「Quest」の愛称で親しまれてる超一流企業。ゲームで世界を平和にするので100万円下さい!!

 まあ本当に100万円もらえるならともかく、そんなおままごとに真剣になるような男子高校生ではなかったので、課題はそつなくこなした。クラス中が鼻で笑ったオオサムなプレゼンだった。

 プレゼンの準備期間中、僕たちは一生懸命に考えた。どんなプレゼンをすべきかではなく、もし僕らでゲームを作るならどんなゲームを作りたいかを。幸いにもうちには優秀なプログラマーがいた。これは本当に素晴らしいことだ。彼にはブロック崩しを自作した経験があったのだ。それだけで僕たちの雑談にはかなりのリアリティがあった。彼がプログラムを書いてくれればどんな複雑なゲームだって作れてしまうだろう。さらに、さらにである。驚くなかれうちは優秀な音楽家をも抱えていたのだ。彼はピアニストであり、自分の曲を何曲ももっていた。彼が音楽を作れば僕たちのゲーム体験は素晴らしいものになるだろう。雑談は一層盛り上がる。そして、お待たせしました最後の一人。これが僕たちにとって最も素晴らしかったのだが、彼はおべんちゃらを言うのが大得意であった。特に実績とかはないがとにかくおべんちゃらを言う。たいして中身のないことを冗長に喋るこの男が気まぐれな雑談を大いに盛り上げたのだ。プログラマーと音楽家とおべんちゃらを言う人。最高のスリーマンセル。僕たちの会社は前途洋洋だ。
 
 どんなゲームがあったら面白いだろう。僕たちは考える。ここであの男がお得意の思慮の浅いおべんちゃらを惜しげもなく披露する。

 敵地から資源を持ち帰って少しずつ文明を発展させるゲーム。

 AIを育ててダンジョンを攻略させるゲーム。

 5体の人形を同時に操作して戦うゲーム。

 日本の神様であるきつねが主人公で、精霊を産み出しつつその場にある環境を使って上手く立ち回るゲーム。英和辞典で「Fox」を引くと「Play the fox…うまく立ち回る」とあるのでゲームの名前はそのまま「Play the fox」

 まくしてるような不可解な言動。それは発案しているというよりもさえずっているだけだ。単なる大喜利。当然といえば当然だろう。これは雑談だ。「Quest」は英語の単位を頂戴するための架空のもの。言ってしまえばおままごと。プレゼンが終われば即倒産する予定の会社。実際、優秀な同級生たちが作った輝かしい会社らも、見事100万円を手にした彼らの大企業ですら、全て無くなってしまったのだ。これはシミュレーション。今流行りのバーチャルリアリティ。あくまで雑談。こうして僕たちはバーチャル生産者からリアル消費者に戻り、たわいもない日々を過ごしました、ちゃんちゃん
 
 そうはいかなかった。「きつね」は僕たちをつまんで離してくれなかったのだ。

 おべんちゃら男は何を思ったのか、頭に浮かんだキャラクターを実際にドット絵に描いてしまった。描きあがったいくつかの素材をプログラマーに送付すると、彼は何を思ったのかそれを注文の通りに動かしてみせてしまったのだ。そして音楽家に作曲を依頼しコンセプトを伝えると、彼はなにを思ったのかあっという間に曲を作ってしまった。粗削りではあるが「Play the fox」のプロトタイプができた。奇々怪々な現象の連続によって、それはできてしまったのだ。

 オリジナルのキャラクターが動いている。とにかく感動していた。それはただ動くのではない、操作できるのだ。あれ程の感動は青春ということを差し引いてももう二度とないだろう。これはもしかすると、もしかしてしまうかもしれない。あの「Quest」ができてしまうかもしれない。僕たちは希望に満ち溢れてていた。

 3人の若人の目が爛爛と輝くと、彼らは前途洋洋な未来に向かって突き進みはじめたのであった。物語の始まりである。のちに、彼らは若くして新進気鋭のクリエイター集団としてその名を、

  そうもいかなかった。残念ながら。それどころか、その後の僕たちの活動は下降線を辿る一方であった。なにせ僕たちには僕たちの生活があった。部活動にも勤しんでいたし、ゲームもしたかった。テストや模試だってあった。もともとノリと勢いで始まったことだし、どこまで本気でやっているのかもよく分からない。そもそもできなくても別に死なないし。

 

 言い訳を探せばきりがない。今改めて思う、ゲームを作るのは大変なことだ。当たり前のことなのだが、僕は少し甘く見ていた。もう白状するがおべんちゃらを言うだけの僕にはどこまでも難しいことだった。しっかりと現実を見定めて一歩一歩謙虚に進まなければならないのに、僕にはそれができなかった。怠惰な生活を送っていたなと反省している。

 見かねた「きつね」もつまんだその手を離してしまったようだった。目が覚めた僕は半ば諦めていた。気づけばあれも5年前か。少年漫画なら2年もあれば飛躍的に成長できるだろうが、現実の僕は残念ながら相変わらずだ。要領は悪いし、課題に追われっぱなしの生活。あの頃のワクワクやクリエイティブさはもう欠片も残っていない。「きつね」ともコン生の別れってね。つまんね。でもそれが僕さ。それまでの人間さ。

 でも、それでも、僕たちのプログラマーはどこまでも優秀だった。本当に、こんなおべんちゃら男にはあまりにももったいないほど優秀だった。僕が堕ちていく一方で、彼は「きつね」と向き合い続けていた。彼はずっと「きつね」をDeleteしないでいてくれた。そしてその完成をずっと望んでくれたのだ。こんなやつのおべんちゃらを、妄想を、夢を本気にしてくれたのだ。彼の誘いからこの度「Quest」は再生した。彼の手腕と寛容さには本当に感謝してもしきれない。

 今一度「きつね」と向き合ってみようと思う。願わくばもう一度つまんでくれ、と「きつね」に手を伸ばしてみる。「きつね」が僕を見捨ていたのではない。他でもない僕のほうが「きつね」を振り払おうとしていたのだ。現実はとても厳しい。課題は次から次へと押し寄せる。けど、有能だろうが無能だろうがそれは変わらない。僕は達成に伴う苦しみに耐えられない、いわば成長痛を拒むような未熟な人間だったのだ。こんな僕がいきなり他の二人のように有能になれるだなんて思っていない。けれど、少しずつ、彼らに引っ張ってもらいながら、成長痛を受け止めながら進めたらいいなと思う。何より、僕一人だったら絶対に経験できなかったこのワクワクを、それに伴う成長痛も、全てを楽しんでいけたらいいなと思う。

 

 これは僕たちと「きつね」の闘いの記録。立ち塞がる現実に「きつね」と共に挑む未熟者の記録。

 

 

 

 

 拙文失礼しました。全部読んでいただいた方は優しい方です。よく「人当たりがいいね」って言われることでしょう。読み飛ばした方は賢いです。よく「仕事できるね」って言われることでしょう。最初に書いたとおり、こんな文章は最初で最後だと思います。普段はもっとフランクにやっていきます。楽しく気長にが当面の目標です。

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questgames.hatenablog.com